釈迦に説法

幸せについて考えてみる。

留学生活その3 クラスメイトは11か国。

 エルビスとの出会いにより、しっかりとした心構えで留学生活がスタートした。初めてクラスメイトと顔合わせの日、教室に入ると3人ぐらいが英語で話していた。入って来た僕の方をちらっとだけ見て、挨拶もせずに話し続けていた。僕は一番後ろの席に座り、次に入って来た2メートル近い二人組に挨拶した。見るからに英語圏ではない顔をしていたからだ。(笑)何故だろう?英語には抵抗があった。6年も勉強して喋れない事へのコンプレックスかもしれない。その後続々とクラスメイトが入って来たが、僕は誰とも喋らずどの位の会話が理解できるか試し聞きしていた。僕の隣にはイギリス人のニコラと言う女性が座っていた。4か国語が話せると言っていた。弁護士の資格も持っていると言っていたので、とんでもねえ所に来たなと思った。場違い感が半端じゃ無かった。(笑)日本の高校のクラスで一番勉強できたって何?(笑)クラスには全部で16人。途中入れ替えもあったから、人は多少変わったが、仲良し組は卒業まで同じクラスだった。班長はフィリピンのシェラ。僕の一つ上の24歳の強気な姉御。男は僕が23歳、カナダのカーターが25歳、(帰国して市議会議員になるとか言っていたイケメンの見た目はアジア人華僑)アメリカ人華僑のユーが26歳、ウズベキスタン人2メートルコンビ、ジャミシ、ジャスワが当時19歳。スロベニアのマルコが24歳。途中で退学した大使館のロシア大使の息子のマックスが20歳。日本人の渡辺君が19歳(親父がヤクザで、兄が弁護士という福岡人)。女子は後、日本人の石倉さんが20歳、前出のニコラが30歳。、スイスの航空会社の社長令嬢ドリス、オランダのミランダともう一人(名前が思い出せないが超美人)。カナダの同級生のジェニファー、パキスタンのおばちゃんもいた。半年後に何人かは入れ替わるのだが(僕を含めた何人かは飛び級して3年生になった)、このメンバープラス担任の李先生とでいきなり遠足で観光に行った。万里の長城や北京十三陵や何か有名な山に登ったりした。いきなりの異文化交流である。ハード過ぎるだろ。11か国は多すぎるって。(笑)大学全部では1500人位の留学生がいて、おそらく世界中の国の人間が一人はいただろうと思われる。誰も中国語がまともに話せないのに、不思議と仲良くはなれるもので、僕はこれから始まる未知との交流に胸を弾ませ、不安など消え去っていた。ここは好奇心が物を言う。恐れている人はなかなか交流が進まないが、人間が好きな人には楽しみしか待っていない。僕の性格からして、クラスの中心になるのにはそんなに時間がかからなかった。たくさんの事件や発見、出会いも別れも言い出せばきりがないので、心に残った出来事だけ書いていこうと思う。ちなみに半年後、僕が5人位の外国人を引き連れて校内を歩いていると、広島から一緒に乗った母の知り合いの娘さんが一人で地球の歩き方というガイドブックを読みながら歩いていたのを見たことがあった。本の中には交流はない。外国人の友達と中国語で冗談を言っていた自分と、好奇心だけでえらく差がつくものなんだなぁと実感していた。僕はその時すでに飛び級して3年生だった。せっかく外国に飛び出して来たのなら、自分の力でぶつかって行かないと、日本に居た時と何も変わらないと思う。北京の日本の居酒屋チェーンに行った時も、東京の学生が日本人同士でコンパしていたっけ。日本ですれば良いのに。僕はフランス人の女性と横でご飯食べてたけど、聞こえて来た彼らの会話はつまらなかったなぁ。(笑)大学の先輩にはテレビにも出てたゾマホンとかいたらしいけど、僕は日本人の先輩たちのおかげで、生まれて初めての差別を味わう事になるなんて、思いもしなかった。次はその話でも書こうかな。ではまた。