釈迦に説法

幸せについて考えてみる。

恋と愛。

 中学2年生の時の事。大阪から地元にはいないタイプの可愛い転校生がやって来た。西成区から来たらしく、お父さんが「広島は平和ですね。鍵をかけずに出かけても、誰も家に入って来ないなんて。」と言っていたのを聞いた時、日本にも色んな所があるのだなと勉強になった事を覚えている。思春期真っ只中で、新しい物好きな僕は、彼女に夢中になった。授業中によく彼女をボーっと見ているとクラスメイトの女の子に指摘され、とても恥ずかしかったのを覚えている。そのぐらい地元にはいないタイプで、お嬢様だった印象がある。恥ずかしくて一度も話したことは無いんだけれど。クラスにはどこにもお調子者がいるものだが、他のクラスにいたお調子者が彼女には彼氏がいるという事をある日言いふらしていた。思春期の僕は、口をきいた事もない彼女に失恋した気になり、家で一人ブルーハーツの”ラブレター”を聞いていた。”本当ならば今頃ー”そうだよなあ、あんなに可愛けりゃ彼氏ぐらいいるよなあ。地元で生まれ育っていれば少しはチャンスもあったかもなのにと一人ベッドの上で、聞いていた。”今度生まれた時には、約束しよう。誰にも邪魔させない、二人の事を。”そんな歌詞を聴きながら、自分勝手な恋愛に失望していた。今思えばホントに思春期ってのは解らないものだ。人の噂一つで本気で傷つき落ち込んだりする。子供ならではの時期なのでしょうね、あれは。実際彼女には彼氏などいなくて、有名進学校に入るのを目的に勉強だけしていた様な͡娘でしたし、僕が好きになったのも、声が可愛いというのが主で、自分の声フェチを知っただけだったのだが。(笑)ただこの経験で、僕は恋と愛の違いを、ブルーハーツに教えてもらったのが強烈に印象に残っている。思春期の発見は大人になっても忘れないものだから、この時期に良いものと出会うのは重要な事の様に思う。

 ”恋”という字は下に心がついている。いわゆる下心というものだ。ところが”愛”は、字の中に、もっと言えば中心にある。それはまさにこの違いを表しており、この曲で僕は勝手に気付いてしまった。歌詞は最初ずっと自分の都合、希望を歌う。恋らしく自分の事ばかりを自分の気持ちに正直にただ歌う。ラブレターを読んでくれ、とか、君のためにステレオを買ったよとか、相手の気持ちなどは関係ない。まさに下心。恋らしい。当時僕もこの恋の真っ最中で、そこに気持ちを重ねて口ずさんでいた。ところが歌の最後に、”他の誰にも言えない、本当の事”として、ヒロトが歌っていた歌詞に、僕は大切な事を教えられた。それはまさに”愛”についての教え。恋とは違う真実。

 ”あなたよ あなたよ 幸せになれ”_強烈なパンチをもらった気分だった。それが他の誰にも言えない本当の事なのか。気付けば僕は起き上がって真面目な顔になっていた。もちろん勝手に自分が解釈しただけなのだが、この考えは大人になった今でも変わらない。恋愛に奥手になったのもこの時の経験による所が大きい。良い事かどうかは解らないが。(笑)人を好きになるのは勝手な事だし自然な事だ。悪い事では決してなく、自分のエネルギーの一つにもなる。しかし恋とは一方通行で、自己満足でどうにでも結果が変わる。うまくいかなければ相手のせいにも出来るし、途中で止める事も出来るだろう。たまに周りにも相手にも迷惑をかけ得る危ういものだ。ただ、愛とは、同じ一方通行でも、相手の事を一番に考えられるほど心が中心にあるもの。その違いは字だけのものではなく、非常に大きいと思っている。本当に相手を思っているのなら、その相手が一番幸せになる事を願わなければいけないのではないか。あの娘に彼氏がいるのなら、それは恨むべきことではなく、応援してやるべきなのではないか。そんな事を真面目に思うようになったきっかけの曲です。わがままな恋を勝手に続けていませんか?相手の幸せを一番に思える強さはありますか?自分の気持ちが本当の愛ならば、願う結果は相手の幸せだけ。自分の事はその後で良い。笑われても意気地なしと言われても、僕はそんな考えでいます。ではまた。

 

  ♪ ラブレター  /  THE BLUE HEARTS

 

本当ならば今頃 僕のベッドには あなたが あなたが あなたが いて欲しい

今度生まれた時には 約束しよう 誰にも 邪魔させない 二人の事を

読んでもらえるだろうか 手紙を書こう あなたに あなたに あなたに ラブレター

新しいステレオを 注文したよ 僕の所へ 遊びにおいで

ああ ラブレター 百分の一でも ああ ラブレター 信じて欲しい

 

他の誰にも言えない 本当の事

あなたよ あなたよ 幸せになれ あなたよ あなたよ 幸せになれ