釈迦に説法

幸せについて考えてみる。

神様に挑んだ男。

 コービー・ブライアントが亡くなった。ヘリコプターの墜落による事故死だった。彼のコービー(kobe)という名前は、日本の”神戸”からとっているらしい。僕は中、高とバスケ部だった。僕の時代のスーパースターと言えば、”神様”マイケル・ジョーダン。彼がNBAにデビューした頃、マジック・ジョンソンやラリー・バードといったレジェンドがいたが、ノースカロライナ大からNBAにデビューした時、彼のチームはとても弱かった。マジックやバードのチームが決まって世界一を争っていた。ところがジョーダンはたった一人でその伝説たちに挑んだ。一人で戦っていた。弱小チームのチームメイトなど、いないに等しかった。自分一人だけで63点取ったセルティックス戦では、何度やられても一人で取り返して来る彼を、皆が脅威に感じていた。高校生の試合かという位一人で得点して来る。プレー中にこけたジョーダンを、バードが手を引いて起こしていた時、僕はバードがとても嬉しそうに見えた。自分達に挑んで来る若者を、歓迎しているかの様に見えた。そしてその後、ジョーダンは神様になった。歴史上最高のプレイヤーとして、今も語り継がれている。コービーは19歳でNBAにデビューした。ジョーダンと入れ替わりでスターになった様な記憶がある。プレースタイルも若きジョーダンを彷彿とさせた。典型的な負けず嫌いのコービーは、毎日朝4時から練習するなど、非常に努力家で、バスケットボールを愛していた。僕の記憶に残ったのは、ジョーダン率いる最強ブルズとコービーのレイカーズがプレイオフで当たった時のジョーダンのインタビューだ。試合中、何やら話していた二人。試合はブルズが勝ったが、ジョーダンはいつも道理な感じで、勝利には大して嬉しそうでは無かった。ところが、インタビュアーが、「コービーと何やら話していましたが、何を話していたのですか?」と聞かれると、満面の笑みで「あいつがどうやったら僕のいるブルズに勝てるかと聞いて来たんだ。試合中の終わり前に。だから最後の俺のシュートを止めてみな、とアドバイスしたのさ。」と言っていた。僕にはそれで全てが解った。ジョーダンは、昔の自分を思い出し、やがて自分を超えるであろう若者を見つけて、嬉しかったのだ。一つ覚えておいた方が良い事がある。誰かを目標とする時、その人みたいになりたいと思う者の多くは、その対象を超えられない。目標とする人を超えたい、倒したいと思う者の中にこそ、超えて行く者が存在する。当時のジョーダンに勝てる人など存在しないと誰もが知っていた。NBAプレイヤーでさえ、ジョーダンと写真を撮り、それを自慢していたほどだ。オリンピックで対戦した各国の代表選手もそう。そんな日常で、ジョーダンは退屈だったろうと思う。この中の誰も自分を脅かす者は存在しないと解っていただろう。そんな時にコービーと出会った。19歳の高卒ルーキーが自分を倒すと言っている。ジョーダンは本物のチャンピオンだから、決してそれを笑わないし、喜ぶ。もしあなたが誰かに挑戦した時、相手が笑っていれば、その人に挑む価値がある。怯えている様ならその人は本物ではない。僕はそう思っている。思えばかつてのバードもそうだった。周りが”恐れ多い”、”身の程知らずだ”と言っていたとしても、本物には本物が解るのだ。その瞬間はとてもカッコ良い。二人だけが輝いている瞬間を、僕は何度か見た。歴史とはこうやって繰り返されていく。コービーはその後一試合で81得点を取り、ジョーダンの記録も超えた。背番号が8から24になったのは、ジョーダンを超えると決めていたからだ。だからジョーダンの23より一つ多い。後にジョーダンは「コービーは僕の弟だ。僕は自分以外で、彼ほど努力した男を知らない。」と言っている。コービーは神様に挑み、神様はそれを認めていた。天才ではなく、努力の人。コービーは引退試合でも60点を決め、第4ピリオドで10点差を一人でひっくり返し、チームメイトを抱きしめていた。会場は優勝したかのように盛り上がり、チームメイトは泣いていた。「いいか、負けて良い試合なんてないんだ。闘志を忘れるなよ。」と言っているかの様な男を、誰もが尊敬の念で見守っていた。コービー、お疲れ様。あなたほど好きな事に対して、自分の人生をかけて出し尽くした人間を僕は知らない。天国では君を脅かす者など誰もいないでしょう。同じチーム内で唯一、一人で二つの永久欠番”8”と”24”を持つ男。神様も君を見たくなったのかもしれないね。どうか安らかに。一緒に天国へ行った娘と、バスケットを楽しんでね。神様にでも挑んでよいのだと教えてくれたあなたを、忘れません。ではまた。