釈迦に説法

幸せについて考えてみる。

ハーメルン。

 1995年3月20日に起きた戦後最悪のテロ事件。地下鉄サリン事件。当時の僕らには正直何が起きたのかすぐには理解できないほどの衝撃だった。TVでは毎日いやになるくらいオウム真理教の話題が取り上げられ、正直地方の自分達はうんざりしていた。子供っぽいというのがあの教団に対するイメージだ。高学歴のいわゆるエリートと呼ばれる男達が危険な薬品を作り内部では人が死んでいるだの殺人予告が行われているだの、なんか漫画の中の世界の様に感じていたわけだ。ところが、現実に人が死んだ。無差別のテロ事件。同じ日本人が東京の地下鉄でサリンをまく。これは現実なのかという映像がTVでは連日流された。罪も無く殺された多くの人、巻き込まれた家族。一説には東京の制圧からの国家転覆を企んでいたとされ、教団の背後に北朝鮮やロシアがいた事で、恐怖は増した。北朝鮮側の海には多くの警察官が派遣されていたらしい事も後で知った。北朝鮮軍が攻め込んで来るとの情報があったためだという。これは現実なのだ。平和とは簡単に崩れる。一人の人間のエゴによってでも起こりうる悪夢を、日本国民は認識した。彼らに同情の余地はないが、エリート達は、ある程度自分達がしようとしている事の危険度は知っていたと思う。それでもなぜ、オウムだったのか。力による恐怖もあっただろう。やめると言えば、殺されかねない教団だったことは内部にいて知っていただろうし、実際色んな事件で手を下した事もあっただろう。彼らは純粋で、研究を好きなだけやらせてくれる教団の魅力から、現実の判断がつかなくなった様に見えた。研究者にとって研究とは命。日本の社会が認めてくれなくとも教団なら認めてくれる。自分の得意な事、自分の存在を最大限生かしてくれる場所に、彼らは心を奪われていった。もちろん洗脳もあっただろうが、エリート軍団の多くは事件の後、自らの死刑を望んでいたあたり、自頭は良かったのだろうし、取り返しのつかない事に自分が加担した事を理解していたのだろう。彼らの能力だけ見ると、もったいないという声すら挙がっていた。僕が気になったのは解放された信者が、テレビ局のインタビューで、”私は洗脳されて間違った教えを信じ込まされてかけがえのない人生の時間を奪われた。時間を返して欲しい”と言っていたのを見た時に、単に教団のせいというわけではなく、自分を持たないこの様な人が多く集まってしまった事が大きな不幸を招いたのだなと思った。信じる事が悪いのではなく、信じたものが悪かっただけなのに、自分がだまされていたみたいな物の言いようは情けなさすぎないか。相手が何であれこういう人は、結果が悪ければこれからも相手にその非を求めて行くのだろうなと思う。自分が信じたのだ。自分が救われると思ったのだ。それは間違いとかじゃない。教団が間違っていたのが解ったなら、それを信じてしまう自分に問題があることを知らないと、何も解決していないし、同じ様な過ちを繰り返す事にはならないだろうか。当時の僕はそれが気がかりだった。そして道を踏み外したエリート達の顔を見ていると、頭の中である曲が流れた。それを聴きながら、全ての失われた大切なものへの鎮魂歌になる様にと願った事を思い出しています。誰にも得意なものはある。使い方次第なのだ。何に情熱を向けるかなのだ。多くの人が幸せになれるものの方が正解な気はしている。ではまた。

 

  ♪ ハーメルン  /         LÄ-PPISCH 

 

となり街から 不思議な楽団が またとなりの街へ

僕の部屋の窓の外を ゆっくり通り過ぎる

いろんな人に会って来たんだね いろんな街を歩いて来たんだろう?

この先も色々と行くんだろう?

連れてってよ 連れてってよ 連れてってよ

笛なら吹けるよ 太鼓も叩くよ ねえあの歌を 教えてよ

ダンスは下手だよ でも懸命に踊るよ ねえそのステップを 教えてよ

となり街から 不思議な楽団が またとなりの街へ

 

砂嵐にも 負けないマント着て 僕は家を出て行く

街の子供たちと 彼等の後を 足早に追いかけてみた

ずっと笑われて来たんだね 石を投げられた事もあるんだろう?

泣き言なんか決して言わないから

ついて行くよ ついて行くよ ついて行くよ

笛なら吹けるよ 太鼓も叩くよ ねえあの歌を 教えてよ

ダンスは下手だよ でも懸命に踊るよ ねえそのステップを 教えてよ

月が昇れば 丘に登ろう ねえあの歌を 歌ってよ

 

こうして 僕の街の子供たちは 一人もいなくなったのさ・・・