釈迦に説法

幸せについて考えてみる。

君はTVっ子。

  もう何年もテレビを見る事は無くなったが、いつからだろう?あんなもの全く何の役にも立たないと思ったのは。マスメディアっていうのは、その国の国民の民度を測るものさしと言われているが、本当に日本の民度は低い。新聞もそうだが、基本的にスポンサーの考えに大きく偏っているし、朝から晩まで悲惨なニュースをモザイクばかりで流し、芸能人の不倫がどうした、政治家のスキャンダルやら誰かが勝手に決めた影響力のある芸人やタレントが、日本人代表みたいな顔で何もかも講釈をたれる始末。犯罪者の顔は隠し、被害者のプライバシーは守られない。そもそも放送してきた事の多くに嘘、偽りがあり、歴史的な事に関しても、何が正しいのか解らなくするばかり。テレビの必要性を全く感じません。大人になってある程度決まった日常を送る様になると、習慣として家族でテレビを見るが、それも良くないのでしょうね。話のネタにするにも、内容があまりにもお粗末じゃないですか?ああいう放送をうのみにして、自分の老後やいじめなんかにも悩みの種を増やすなんて事、やめた方が良いですよ。キャスターとかアナウンサーとか、勉強もせず、インタビューしたり個人の意見を公共の電波で発信したり。まあ聞いてられませんわ。そんなつまらないテレビの代わりにyoutubeなんかが登場したが、発信者が自分で全て決められる、テレビの様に都合の良い様に編集されないなんて所は良い所ですが、中身を見ると、やはり日本人の民度は低いのだなぁと感じる事が多い。これ、楽しいか?と思うものを凄い数の人が見て評価してたり、素晴らしいねと思う動画にも、ビックリするぐらいバッドマーク付いてたり。自分の感覚がおかしくなったのかと思うほど、ずれてるものが多い。結局お金が大好きで、実際の生活では何も言えない人達の、ストレスの発散場所なんだよなあ。ただ、テレビよりは本当に価値のある楽しいものもある。それが無料だってのは良い事だと思う。こちらの都合で見られるしね。無料なのに文句言ってる人がいるが、見なきゃ良いのにって事も解らない程度の頭脳なのかなぁ。本当に心配になるよ。文句しか言えない人達の多さに。偉大なるテレビの恩恵を受けているなあ。日本人の民度を下げるために誰かが意図的に洗脳してる様にしか思えないんだが、実際。教育は本当に大事なんだなあと特に歳を取るにつれて感じる。大人と呼ばれる様になって、みんな勉強しているかい?自分の頭で考えているかい?情報のあふれる時代、間違ったものも多く目にする時代、何が正しいかを判断するのは自分だからね。一番良いのは本かな、やっぱり。本はちゃんと誰が書いてるかはっきりしてる。自分が書くのだから当然責任もある事も解っているし、嘘を書く必要も無いだろう。間違った情報がやっかいなのは、それが人の不幸を量産する事だ。不幸な人が作るものによって違う人まで不幸になるなら、無い方が良い。テレビ業界は衰退の一途を辿るだろうが、それで良いと心から思う。嘘だらけの世の中だが、自分の人生は真実だ。幸せになるためには頭も良くなくてはいけないと思う。他人に決められてはいけないと思う。何が正しいと思うかぐらいは、自分で決めましょうね。ではまた。

 

 ♪ 君はTVっ子     /      THE BOOM

 

今日のデートは何だか変だな あの娘がそわそわ落ち着かないんだ

僕より今夜のTVがお目当てなんだ

時計の針がぐるぐる回る 銀座で待ち合わせたのが悪いのかな

僕より今夜のTVがお目当てなんだ

TVっ子 愛しのTVっ子 目を白黒させて 君はTVに夢中

君の気を引くためなら 空から飛んでもいいよ

 

せっかく贈った花柄スカート いつの間にやらTVのカバー

僕より今夜のTVがお目当てなんだ

ブラウン管から黄色い声がする あの娘がTVに吸い込まれちまった

僕より今夜のTVがお目当てなんだ

TVっ子 愛しのTVっ子 よだれ垂らして君はTVに夢中

君の気を引くためなら 毒薬飲んでもいいよ

 

僕が車に轢かれた事件を あの娘は6時のニュースで知った

僕より今夜のTVがお目当てなんだ

TVっ子 愛しのTVっ子 鼻をピクピクさせて君はTVに夢中

君の気を引くためなら 空から飛んでもいいよ

 

TVっ子 愛しのあなた 目を白黒させて 君はTVに夢中

君の気を引くためなら 空から 君の気を引くためなら 空から

君の気を引くためなら 空から飛んでもいいよ

 

 

 

 

 

 

キングダム。

 40歳になってからも、漫画は面白いと思うわけで。キングダムは面白いわけで。「史記」を想像だけでここまで描けるのは、まさに人の想像力の凄さ、面白さですね。作者の原泰久さんは、元サラリーマンとの事。色んな人を見て来たからこそのあのキャラクターの豊富さなんでしょうね。個々の魅力は枚挙にいとまがないですし、そのキャラクターと話す言葉が見事にマッチしているのが凄いですね。おそらくはそれぞれのキャラにモデルがいると思われます。その人を誇張し、しゃべらせている気がします。好きな人も、嫌いな人もたくさんいたんだろうなと解釈しています。同年代の大人たち、キングダムは読んで損はないですよ。成り上がりのストーリーだから、基本的に熱いです。男の熱気、時代の熱気があります。読者が誰が好きだとかどのシーンが好きだとか言っているのを聞くのも楽しいです。結果を先に解っていても読むのに支障がないのも面白いスタイルですね。原さんの想像力が楽しすぎて、筋書きが解っているのに先を考察してるのは不思議な現象です。みんな引き込まれているのが解ります。手法でいうと、素人ながらに思うのは、結末を先に決めておいて、わざとずらして感動させているなと思うところが多々あります。言い方は難しいのですが、ストーリーは普通起承転結で出来上がるじゃないですか。順番に起から承転結という流れ。でもキングダムは歴史的に決まっている結があるので、普通に書いていったら面白みに欠けるわけです。だから結から起承に向けて書いていくというのか。転の所は思い切り想像でずらして盛り上げる、みたいな。何言ってるか自分でもよく解らなくなって来ました。(笑)読んでない人は何言ってるか解らないと思うから構わず書くけど、合従軍の所で言うと、秦が勝つのは決まっていると。でもすんなりではない。一度勝ったと思わせておいて、李牧がその頭脳の凄さで裏をかき、「あれ?これ勝てるのか?勝つはずだよね?」となる。結と思われた事が実はまだ起承に過ぎず、政が自ら戦うというずらし、それでも勝てないという状況を作っておいてからの、山の民のとんでもない転で本当の勝利という結に向かう。少ない史記の言葉だけでここまで膨らませる事が凄いのだ。妄想好きな子供だったに違いない、原さんは。(笑)僕は現実の世でも天才好きなので、ぶっちぎりで王翦が好きである。天才廉頗に認められ、オルドとの戦いの作戦での裏の書き方の凄さ、頭脳で心理戦を制し続けた挙句、裏の裏をも読んで秦を救ったので完全に虜になった。そもそも仮面が渋いのだ。(笑)実際歴史でも無双だったんだけど、主を持たない設定にしてあるのがまた楽しみだ。息子にも冷たいし。原さんが李牧好きなのは読んでて解るし、彼も天才なのだが、王翦の方が大胆で好きだ。完全に自分が一番偉いと思っているのが素晴らしい。(笑)そんな性格がこの後何を引き起こすのか?いやぁー楽しみ。ライバルは未だ登場していない項燕しかいないと思っているが、そもそも項燕が出て来るかどうかも解らない。漫画もどこまで描くのかも解らない。ただただ楽しみにするだけだ。

 天才好きだと書いたが、力とは絶対なのだと思っている。誰がなんと言おうと、力は絶対。強いものは強い。偉いものは偉いのだ。それを本人が認めているぐらいが丁度良い。善人が情に訴えようと、時代が裏切ろうとも、全てを跳ね返せるから天才なのだ。天才はそれゆえ孤独になり易い。敵になるものがまれにしかいないからだ。キングダムの世界は天才だらけだから本当に面白い。個々が個々の強さを持っている。その全てが魅力的だから退屈しない。相性によっても勝敗は変わると解るから想像も楽しい。人心掌握術、武力、本能、知能、戦術、それぞれで戦わせると、順位ははっきりしてくる。トータルで見ると、最強は王騎か廉頗。見てみたいのは王翦対麃公。王翦が負ける事も十分あるでしょう。こんなの考えてたら、寝れないぐらい面白い。キャラクターが確立されてる漫画で、これだけ多数のキャラがいる漫画を僕は知りません。迷わず読めよ。読めばわかるさ。ありがとー。原先生、変な終わり方だけは勘弁して下さいね。(笑)ではまた。

 

おるがん。

 高校を出て一年か二年の時、元クラスメイトの男の子が自殺した。突然の知らせに驚いたが、同級生と葬式に行った。初めて見るお母さんは泣いていた。当たり前か。理由を聞く事はその時出来なかった。僕は高校の時だけの友達だったが、小中とも友達だった子もたくさんいて、思ったより泣いている子は少なかった様に思う。現実味が無かったのだ。二十歳前後の僕らには、自分で人生を終わらせる事の意味が解らなかった。今でも自殺者は年間に三万人以上いるらしいが、今思えばそれがたまたま近くの人に起きただけだったのに。幸いそれからの人生で、他に自殺者はいないのだが、それは珍しいのかもしれない。死んだ彼は高校卒業後、競艇の選手を目指し、上京した。背が小さかった彼は、それを武器に生きて行きたかったのかもしれない。勉強は出来る方ではなかった。努力をしようともしている様には見えなかったかな。でもそんな彼を嫌う人はいなかった。みんなに可愛がってもらっていたイメージがある。今思えばただの暗記ゲームみたいな勉強に嫌気が差していたのかもしれない。選手へのテストか資格か知らないが、その試験に落ちた事がきっかけだと人から聞いた。何に絶望したのだろう。何が嫌になったのだろう。話を出来る人が、周りにいなかったのだろうか。故郷に帰ってくれば良かったのに。色々考えさせられた。悲しかった。棺桶の中で土色の顔をして、彼は目を閉じていた。首吊りだからあんな顔色だったんだなとその後しばらくして知った。お経をあげるお坊さんは、彼を叱っていた。泣きながら怒っていた。裕二、どうしても許せなかった事があったのかい?お前が死んでも、世界は変わってないぜ?ただただ悲しんでいる人がいるだけ。もう少し生きれば、それが解ったのかな?俺達はお前に生きていて欲しかった。今でも生きていたら会って話したい。競艇選手になれなかったお前と、バカ話したかった。命を捨てるほど、大切な事なんてあるのかい?生きていれば、新しい夢も見れただろうに。俺達は悔しい。同い年のお前が今はもう見れない事。仲間だったのに。病気でもないのに。あんな可愛い顔をした小さなお前に、死ぬ勇気があったなんて驚きだ。ケンカもしたことなかったのにな。

 僕は子供が親より早く自殺したのを聞くと、必ず思い出す歌がある。死んだ子の気持ちは、とても表しにくいと思うのだが、唯一表現していると思った曲がある。何とも言えない苦しい思いを、僕はこの歌で慰めている。

 

  ♪  おるがん   /    たま

 

僕が死んだ日 おじいさんは二階の屋根で 

古いおるがん 弾いてくれたんだ

ふいごの吐き出す 静かな音楽は 僕の背中の ビールス達にも聞こえてる

 

僕が死んだ日 空はどんどん落っこちて来て

大気圏外 まるで映画館の中

ストローくわえた 僕が見ているのは 地球のいびつな 嘘つきのプラネタリウム

 

屋根から突き出す 大きな菌類は 僕らの悲しい 保育園の庭からも見えたよ

 

僕が死んだ日 おじいさんは二階の屋根で

古いおるがん 弾いてくれたのに

風船病にやられちゃった僕の顔は ぱんぱんだから 嬉しい顔がちゃんとできない

嬉しい顔がちゃんとできない

 

 裕二、葬式に来たぼくらは、どんな顔をしたら良かった?お前は僕らを見て、嬉しかったかい?友達だって思ってくれていたかい?あの頃、何も無かった僕らは、楽しく過ごしていたじゃないか。ぼくらの知らない奴らとの生活で、お前が生きる事を諦めたのが悔しいよ。どうして俺たちの側に居なかった?体育の時間、お前の蹴ったサッカーボールが味方に届かなかった時、誰もお前を責めず、相手に取られない様にみんなが追いかけてくれたろう?教科書を忘れたお前に、隣の女子が見せてくれてたろう?お前は照れて、お礼もろくに言わなかったけど。お前がうらやましくて、教科書を持って来ない奴もいたじゃないか。なんで忘れてしまったんだ。最初からうまくいく事なんて、何も無かったじゃないか。俺達はあの日、仲間だったじゃないか。

 自殺は絶対いけない事。命はバトンだから。先祖や、親から渡された大切なバトン。どんな時代でもその人の人生が幸せだったとは限らない。悔しさだけの人生だったかもしれない。それでも生きる事を諦めず、未来を信じていたからこそ続いて来たバトンだろう?自分が勝手に捨てて良いわけないだろう。周回遅れだからカッコ悪いかい?色が汚いから持つのも嫌かい?ふざけるなよ。どんな思いでつながって来たかも知らないくせに。周回遅れならお前が前を全員抜き去れば良いだろ?こけても遅くても、必死な顔で走れば良いだろう?周りで見てる先祖達は,決してお前を責める事も笑う事もせず、ただただガンバレって言ってくれるさ。ボロボロになった後でも、よく頑張ってくれたと泣いてくれるさ。そうやって続いて来た事を、信じたら良かっただけなのに。おまえの友達だって、大声で応援してくれるのに。母親の子供を産む時のリスクを知っていたかい?ちょっと前の日本なら、60パーセントでしか親は助からなかった。そうまでして生んでくれた命だったのに。こんな国で生まれて、自殺はないぜ。甘えすぎだ。世界を知らなすぎだ。せめてもう少し多くの人や国を知ってから悩め。死ぬ事を悩むな。生きる事で悩め。トップにならなくて良いんだって。歩いても良いんだって。自分らしくが一番なんだって。自分が憧れている人も、大した事無いんだって。いい加減みんな気付いてくれよ。どんなに生きたくても、勝手にいつか死ぬんだって。世の中には必ず楽しい事もあるんだって。世界はそこそこ広いから、その場所が気に入らないなら逃げても良いんだって。誰か言ってやってくれよ。解ってる人の方が多いだろう?三万人って笑えないぜ。人を悲しませるために生まれて来てないって。必ず手を貸してくれる人がいるって。誰も解ってくれないって思い上がるなって。人間なんてそんなに偉くないって。強くないって。みんな一緒だって。他人の気持ちを自分のものさしで測るなって。なる様になるって。自分一人が死んでも、世界は変わらないって。生きてれば世界は変わるかもしれないって。頼むよ。頼むから。勝手に逝かないでくれ。たった一度、奇跡みたいに同じ時代を生きてるんだから。最後まで一緒に付き合ってくれよ。ちゃんと寿命で死んでくれ。頼んだよ、今の日本を生きるみんな。三万人とか、どれだけの悲しみだよ。どれだけの身内が、苦しんでるんだよ。冗談じゃないぜ。他人事だからとか、弱い奴はほっとけとか、人を負け犬呼わばりとか、ふざけるんじゃないよ。全員が真剣に考えないから、増え続けてるのに。あなたが、あなたの周りにいる人だけ、救ってくれたら良いだけだろう?ちょっと真剣にやってみないか?いつの時代か解らないけど、近い未来に、この記事が笑い話になってると良いけれど。

 

 

 

大きな玉ねぎの下で。

 こんな記事をネットで見た。「ある日、台所で料理していた母親が、ラジオから聴こえて来た歌を聴いて、突然泣き出した事がある。びっくりして見なかったフリをして二階に行き、夕食の時間になって下に降りると、何気ない顔で飯を食べていた。その時の歌を調べてみると、爆風スランプの”大きな玉ねぎの下で”だった。私の母は、顔に大きなシミがある。かなり目立つ大きさだ。昔何があったのかは知らないが、今、我が家は幸せだと思っている。母に何があったのだろう?知らない方が良いのだろうか。」

 若い皆さんは、ペンフレンドという言葉を知っているだろうか?昔雑誌の読書欄なんかに、友達になりませんか?というコーナーがあって、住所が書いてあった。学生なんかに多かった様に思う。今でいうメル友なのかな?当時はネットが無く、どうしても友達が欲しい人、特に読書が好きな内気な女子なんかは、自分が好きなこの雑誌を見てる事を頼りに友達を探したりしていたのだ。名前はペンネームな事が多く、実際は会わなくても良いのだ。ただ定期的に手紙のやりとりをしてるだけ。思えば人はいつの時代も似たような事をしているんだなあ。僕はこの記事のお母さんには、ペンフレンドがいたのだと思う。ずっと昔の話だろう、きっと。この記事を書いた男の子のお父さんは、その後に出会った人だろう。今お母さんは幸せなのだと思う。浮気をしているわけではなく、ちょっと昔を思い出したのだろう。完全に妄想になるが、学生時代に、顔のシミのせいで内気だったお母さんは、ペンフレンドを探して、その人と顔を合わせる事無く文通していたのだろう。そして楽しいやり取りが続いたある日、好きなアーティストのコンサートに行く事になったと嬉しそうな報告が来た時、事件が起きた。ペンフレンドがいきなり、”あなたも来ませんか?”と手紙とチケットをを送って来たのだ。長く続いた顔も見えない相手との初顔合わせ。気が合うのは解っている。きっと良い人だとも。”会ってガッカリしないで下さいね。待ってますよ。”と書かれた手紙とチケットを固く握りしめた若いお母さんが、家を出て行くタイミングでこの曲のイントロが流れ出すのだ。そんな気がする。

 

  ♪ 大きな玉ねぎの下で~はるかなる想い~  /         爆風スランプ

 

ペンフレンドの二人の恋は 募るほどに 悲しくなるのが宿命

また青いインクが涙でにじむ 切なく

若すぎるから 遠すぎるから 会えないから 会いたくなるのは必然

貯金箱壊して 君に送ったチケット

定期入れの中のフォトグラフ 笑顔は動かないけど

あの大きな玉ねぎの下で 初めて君と会える

九段下の駅を降りて坂道を 人の流れ追い越して行けば

黄昏時 雲は赤く焼け落ちて 屋根の上に光る玉ねぎ

 

ペンフレンドの二人の恋は 言葉だけが頼みのつなだね 何度も

ロビーに出てみたよ 君の姿を探して

アナウンスの声に弾かれて 興奮が波の様に

広がるから君がいないから 僕だけ淋しくて

君の返事読み返して席を立つ そんな事をただ繰り返して

時計だけが何も言わず回るのさ 君のための席が冷たい

アンコールの拍手の中 飛び出した 僕は一人涙を浮かべて

千鳥ヶ淵 月の水面 振り向けば 澄んだ空に光る玉ねぎ

九段下の駅へ向かう人の波 僕は一人涙を浮かべて

千鳥ヶ淵 月の水面 振り向けば 澄んだ空に光る玉ねぎ

 

 お母さんは行けなかったのでしょう。自分を受け入れてもらえると思えなかったのでしょう。顔にシミがある事を、隠していたのかもしれません。会って正直に自分を見せてみようと思えた、初めての人だったのかも。勇気を出せなくて終わった文通の事など、忘れていたのかもしれません。この歌で、相手の気持ちを初めて考えさせられたのかもね。自分を、どんな気持ちで待っていてくれたのだろう?考えてもいなかった。きっとがっかりさせると解っていた。でも何故、信じてみなかったのだろう。あんなに二人は通じ合っていたのに。こんなに気が合う人、初めてですと、よく書いてくれていたのに・・・。サンプラザ中野さんは、自分達のコンサートの客席がまばらだった頃に、コンサートに来て欲しいと約束した女の子を思い出してこの曲を書いたそうです。本当に昭和の名曲だ。この頃の歌手は、飾らず、ありのままの時代の声を代弁していた。急に成長した日本の中で、お金という得体のしれない物と対峙していった若者たち。まだ人の気持ちの方がお金に勝っていた時代だと勝手に思っています。昭和世代の宝は、歌です。それは本当です。この曲も、昭和世代のお母さんにとってはとても刺さったはずです。この経験で自分に自信を持つ事の重要さに気付いたお母さんは、その後ちゃんと勇気を出して、今のお父さんと結ばれた。そして愛する子供、家族が出来た。そんな幸せな日常にスッと入って来た名曲。切なくなったのでしょうね。ペンフレンドは幸せになっただろうか?怒っていただろうか?今が幸せだから、急に懐かしくなったのでしょう。素敵な思い出なのです。お母さんは何も言わないけれど。

 子供達に知っておいて欲しい事がある。子供の幸せを願わない親はいない。でも、親だって昔は子供だったし、人間だから間違う事もある。失敗も言わないだけでたくさんしてる。失恋も当然してるだろう。でもそれを乗り越えて今のあなたたちを生んで、今が幸せなら最高だ。いずれ解る歳になり、それがまた一つ幸せを運んで来るだろう。たくさん失敗をして、たくさん恋をすると良い。親孝行したいなど考えなくても、親より長く生きられたらそれだけで十分だから。人には誰にも言わず、大切にしている思い出がある。それを見つけてしまった時は、怒る事も問いただす事もせず、そっとしといてあげると良い。当事者しか知らない秘密は、その二人の思い出だ。今の自分を作っている材料のひとつだ。今あなたの近くで幸せなら、それが一番の真実で、確かな事だから。胸が切なくなる思い出があり、それを代弁する歌がある事は、幸せな事だ。

 ちなみに、玉ねぎとは武道館の見た目の事ですよ。先に書くべきでしたね。自分だけの歌を、見つけましょう。ではまた。

 

The Rose。

  歌は人生を豊かにしてくれる。僕には好きな歌がたくさんある。そもそも感受性を豊かにするために、音楽を聴けとか絵画を鑑賞しろとかいうのには理由がある。感受性とは、自分が感じるもので、向こうから与えられるものではない。一方通行なのだ。音楽はいつも変わらず流れているし、絵が変わることもない。なのに聴く人、見る人、その時の自分の置かれている環境によって、千差万別に受け取り方は違う。正解があるとすれば、自分が感じた気持ちだけなのだ。この絵は芸術的だと言われても、あなたがそう感じないのなら、それは何の価値もない。誰が作った物であれ、受け取る人次第で価値は変わる。生きている間に、一つでも多くの感情を知るために芸術に触れるのだ。だから感受性が豊かになるし、そんな人は魅力的であるのだと思う。英語の勉強をするために、僕はよく洋楽を勝手に訳していた。間違っているとか気にもしないで自分が感じたままに。そこには面白い様に価値観が出る。好きな人とはその価値観の近い人なのでしょう。みんなもやってみると良い。好きな人に自分の好きな曲を聞いてもらい、どう感じたか話してみると良い。価値観が近いか解るかもしれない。たとえそれが違っていても、それを知る事でお互いの人間力が上がり、人間として色んな価値観を知る事で、優しくなれるのは間違いないだろうから。

 

     ♪ The Rose        /       Bette Midler

Some say love, it is a river     愛は川だと言う人がいる
That drowns the tender reed   か弱い葦(あし)など沈めてしまう川だと
Some say love, it is a razor    愛は刃の様だと言う人がいる 
That leaves your soul to bleed    あなたの魂を深く傷付けてしまう刃だと 
Some say love, it is a hunger   愛は飢えだと言う人もいる
An endless aching need               際限無く求めてしまうだけのものだと
I say love, it is a flower                 私は愛は花だと思う
And you, its only seed                  そしてあなたも、その愛の花を咲かせることのできる種

 

It's the heart, afraid of breaking  傷つく事を恐れているだけの心では
That never learns to dance           楽しく踊る事を学べない
It's the dream, afraid of waking         夢が覚める事を恐れてばかりでは
That never takes the chance    現実のチャンスをつかめない
It's the one who won't be taken        何も奪われたくないという人は
Who cannot seem to give                   与える事を忘れてしまう
And the soul, afraid of dying    死を恐れているだけの魂では
That never learns to live        生きる事を学べない

 

When the night has been too lonely          孤独を感じて寂しい夜
And the road has been too long       目の前に続く道が果てしなく感じる時
And you think that love is only      愛なんてものは所詮、運の良い人や力の強い人にしか
For the lucky and the strong                       持てない物だと考えてしまうかもしれない
Just remember in the winter                      でも覚えておいて
Far beneath the bitter snows        厳しい冬の深い雪の下では
Lies the seed that with the sun's love   横たわる事しかできない種も
In the spring becomes the rose    春には優しい太陽の光を浴びて 

                  美しいバラを咲かせるという事を

 

 作詞作曲はアマンダ・マクブルーム、ベット・ミドラーが歌ったとても美しい曲です。外国人の友達も、好きな人が多い曲でした。人それぞれ感じ方、訳し方は違うでしょうが、この曲が美しいと解るのは万国共通なんだと知り、幸せを感じた事を思い出します。愛の花。咲かせられると良いですね。ではまた。

 

Daydream Believer。

  「Daydream Believer」という曲がある。アメリカのポップ・ロックバンド、モンキーズの曲だが、僕は忌野清志郎さんが歌う曲の方を、自分の幸せを知るための一曲としてよく聴いている。セブンイレブンの曲、ヘルメットをかぶったTIMERSの曲として認知されているやつだ。僕は昔犬を飼っていて、その愛犬が亡くなったのをきっかけに、この歌が大好きになった。愛犬はメスで、お世辞にも頭の良い犬ではなかったと思う。エサをもらえば、泥棒にだってなつくような食いしん坊だった。学生時代の僕をいつも尻尾を振って迎えてくれた。自分よりはるかに小さな犬に対しても臆病だった。散歩で歩くスピードが、歳と共にゆっくりになり、最後の方はかなり息切れしながらそれでも尻尾は振りながら歩いていた。隣り近所の方達にも可愛がってもらい、亡くなった時は胸が引き裂かれるほど悲しかった。お腹の病気だったらしい。最後を看取った母は、かなり気丈な人なのに、二度と犬は飼わないと決めてしまった。それほどに辛かったのだろう。母方の実家の山の下に、先祖の近くにと埋めたのを覚えている。しばらくはどうやっても悲しさを引きずっていたのだけど、そんな時にこの曲を聴く機会があり、涙と共に、僕は彼女との思い出を愛せるようになった。

 

   ♪ Daydream Believer  /     THE TIMERS

 

もう今は 彼女はどこにもいない 朝早く目覚ましが鳴っても

そういつも 彼女と暮らして来たよ ケンカしたり 仲直りしたり

ずっと夢を見て 安心してた 僕はDaydream Believer そんで彼女はクイーン

でもそれは 遠い遠い思い出 日が暮れてテーブルに座っても

Ah今は 彼女 写真の中で 優しい目で 僕に微笑む

ずっと夢を見て 幸せだったな 僕はDaydream Believer そんで 

彼女はクイーン 

ずっと夢を見て 安心してた 僕はDaydream Believer そんで彼女はクイーン

Ah Ah Ah Ah  Ah Ah Ah Ah

ずっと夢を見て 今も見てる 僕はDaydream Believer そんで彼女はクイーン

ずっと夢を見て 安心してた 僕はDaydream Believer そんで彼女はクイーン

ずっと夢見させて くれてありがとう 僕はDaydream Believer そんで

彼女はクイーン

 

 人はみんな夢を見て生きている。それもかなり都合の良い形で。良いものは終わらず、覚めない悪夢は無いと思っている。人生すら夢だと思っているほどだ。楽しい時が終わらなければ良いと願って生きている。それでも夢は終わるのだ。だって夢なのだから。それが辛いのは、安心していた時に終わりがいきなり来るからだ。終わることがあるんだよって、誰も教えてくれないから。だから終わりを受け入れられず、悲しみに負けてしまう。あの時の僕もそうだった。こんなお別れなんて嘘だろう?明日も散歩に行くんだろう?と現実逃避をしていた。そんな時、この曲に教えられた。ああ、あの日々は夢だったんだな、と。僕はその夢が幸せすぎて安心しきってたんだな、と。彼女は僕に夢を見させてくれていたクイーンだったんだな。それが理解できた時、僕は悲しみを乗り越えられた。幸せな思い出に変える事が出来たし、今だってあの頃の夢を見てる。本当に歌詞の通りだ。後に知った事だが、清志郎さんは三歳の時に亡くなった自身のお母さんに向けて、音楽だけ借りて歌詞を自分なりに書いたそうだ。同じ様な気持ちを持っておられたのだろう。お別れは悲しいけれど、それを嘆いてばかりいたら、会わない方が良かったの?って言われてしまう。そんな事は決してないよね。こんな自分に素敵な楽しい夢の様な時間をくれた。感謝しかない。

 たった一匹の僕のクイーン。今でもあなた以上に可愛い犬はこの世にいないと思っているよ。今度生まれ変わったら、また友達になって欲しい。今度は僕が犬で、君が飼い主かもしれないけれど、天気の良い日には一緒に散歩に行こうね。可愛い首輪をつけて欲しい。広場で全力で走って欲しい。笑って頭をなでて欲しい。そしてまたいっぱいいっぱい思い出を作ろう。今日も君と歩いた散歩道には、幸せな夢を見て、安心している人達がたくさん歩いているよ。少しでも長く、その日々が続くと良いね。たとえその夢が覚めても、みんなの大切な夢は、ずっと続いていくから、安心して。    

 僕は幸せなDaydream Believerです。ずっと夢見させてくれてありがとう。僕は君と出会えて、本当に本当に幸せだったよ。ではまた。

 

道の先に立つ男。

 2000年のシドニーオリンピック男子柔道は、非常に実りのある学びの場であった。野村選手、瀧本選手が金メダルを取り、日本柔道の強さをまざまざと世界に見せつけていた。100キロ級の井上康生選手。亡くなった母の名前を黒帯の裏に縫い付けて、決勝に進んだ。”しっかり前を向いて堂々と歩きなさい”。過去の大会でうつむき加減で入場する康生選手に、よく言っていたそうだ。母親の為にと強い決意で入場する井上選手は、しっかり前を向いて、堂々としていた。そして美しい一本勝ちでの優勝。迷いの無い彼の柔道に、敵は居なかった。表彰台で母の遺影を掲げた彼の姿に感動した人は多かったろう。僕もその一人だ。”日本柔道強いなぁ”と呑気に見ていた僕。迷いの無い道を行く男の姿に見とれていた。しかし、100キロ超級で更なる感動を味わうなんて、この時はまだ思いもしなかった。

 迎えた100キロ超級男子決勝。恐ろしいまでの強さを誇る篠原信一選手が登場した。全日本選手権3連覇。前出の井上選手がそれを阻むまで、誰にも負けないと思われていた。事実、判定で4連覇を阻止した井上選手も、その一回以外は篠原選手に負けており、一番強い柔道選手は?と聞かれると、迷わず篠原の名を挙げるほどだった。開始一分ほどで内またすかしで一本勝ち。そうなるはずだったが、結果は違った。副審二人は篠原選手の一本勝ちを宣告したが、主審の判定は、相手のドゥイエ選手の有効。残酷な結果になったこの試合は、歴史に残る誤審と呼ばれる事になる。僕は呆然としていた。山下コーチが審判団に猛烈な抗議をしていたのを覚えている。決して泣かない男と言われていた篠原が、銀メダルを胸に泣いていた。止まらない汗と涙を懸命に大きな手の平でぬぐっていた。金メダルのドゥイエ選手が上から気にして見ていたほどだ。ドゥイエ選手も自分が負けていた事は解っていた様に思う。悔しさのあまり、結果を伝えるアナウンサーが涙ぐんでいたほどだ。僕もこんな事が世界一を決める舞台で起こるのかと、落胆していた。篠原選手のインタビューが流れて来た。さぞかし無念であったろうと同情の思いで聞いていた僕。汗まみれの武骨な男の口から出て来た言葉はこうだ。

   ー 自分が弱かったから、負けたんです。 -

 ・・・しばらく動けないほどの感動だった。僕の思いを篠原選手は内股で投げた。そんな感覚だった。生きていると、人は何度も悔しい思いをする。あの時ああしなければ、もっと勇気があればと自分を責める。特に自分に責任が感じられない様な不条理な場面では尚更だ。なんで自分がこんな思いをとか、あの人のせいなのに、とか。やり切れない悔しさ、恨みの様なもの。それら全てを、篠原選手は代表して投げてくれた。その鋭く磨かれた技のキレの美しさに、投げられて一本負けした僕らの心からは、感じた事の無い感情が溢れたのである。その潔さによってどれくらいの思いが成仏した事か。自分が同じ日本人である事を、どれだけ誇らしく思えた事か。強い男になる道を、目指した男が辿り着いた場所。まさに男の中の男である。日本人の、日本柔道界の誇りである。それを世界の大舞台で、世界中の人に向けて示して見せた。心の底から尊敬し、こんな男になりたいと願う見本の様な男の姿が、そこにはあった。ー 余談ではあるが、その時の世界の新聞にはこう書かれていた。

「篠原は金メダルを奪われた。ドゥイエは金メダルを受け取るべきではなかった。もしもあの時金メダルを辞退していたら、ドゥイエの名は長く柔道界の歴史に賛辞と共に残っただろう。しかし、柔道の神は、あの悲惨な結果の試合後に、自らドゥイエに握手の手を差し伸べ、自分が弱いと言ってのけ、涙をこらえて正面を向いて立っていた大男の名を、残す事に決めた様だ。なぜ世界中で柔の道を歩もうとする外国人がいるのか?その道の最も先に立つ者が、堂々と世界に示して見せた。シンイチ・シノハラ。柔の道を極めた男の名前である。」

 小さい子供も大人になってからでも、強い男、強い人間を目指す者は覚えておいた方が良い。強いとはどういう事なのか。自分は何と闘っているのか。何故闘っているのか。決して結果が全てでは無いという事。結果は結果に過ぎない。自分の力を使い切り、自分の道を行けば良い。誰もが憧れて挑んでいく厳しい道の先には、こんな男たちが立っているのだと教えてくれた大会だった。

  ”生きる上で最も偉大な栄光は、決して転ばない事にあるのではない。

  転ぶ度に、起き上がり続けることにある。” - ネルソン・マンデラ ー

 

おめでとう康生選手。ありがとう篠原さん。ではまた。