釈迦に説法

幸せについて考えてみる。

行動すること。

  ブログというものがあるという事は、かなり前から知ってはいました。金儲け出来るとかそういう事ではなくて、今までに一番愛した人と別れた時、ブログをやって欲しいと言われた事があったからです。何故そんな事を言われたのか、今なら少し解る気がします。”つながっていたい”と思ってくれていたのでしょう。恋人にも戻れず、夫婦にもなれない。多分普通に生きていればもう面と向かって会う事は無いと解っていたからなのでしょう。”何がブログだよ”とすねていた自分は、その大切さに気付けずにいました。

・・・・あれから20年近く経って、今僕はブログを書いています。令和になり、昭和生まれの自分達に出来る事は何かを思った時、しなければならない事は何か。発信しておかなければならない、残しておきたい事は何なのだろうか。同年代の人達、若者達、愛し愛された人達のために出来る事は何か。今の時代の一番凄いところは、記録が全て映像なり文章なりで残ってしまう事です。この先歴史を勉強したければ、目に見えて読めて、聞こえてしまう。100年後の子供たちは、自分の先祖が生きている姿を、見ることだって出来るでしょう。人がどこまで進化するのかは見当もつきません。でも恐らく人は同じ様な事に悩み、同じ様な事で笑っているでしょう。行動できない人は多いと思います。自分もそうです。だけど出来そうもないとためらうよりも、出来る事をやろうと思ったのです。今までに多くの人に会って、たくさんの幸せをもらいました。幸せについて考えて来ました。この先誰かが迷っていたり悩んだりする時には、ちょっと読んでみてもらえないだろうかと思います。いろんな事書いていきます。重い事もくだらない事も。何故ならそれが自分だからです。知り合いにはブログやってるよってもうちょっとしたら言おうと思う。みんなも忙しいとか言ってないでやろうよって言おう。伝達は一方的で良いのだから。発信しない事が世の中をややこしくしてるんだから。人は幸せも不幸も自分で決めている。それにいつ気が付けるかで、人生の豊かさはかなり変わって来る。僕を知っている人、久しぶりな人、僕は元気でやってるよ。みんな元気でやってるかい?ブログ始めようよ。これは一種の遺言だから。自分の記事読んで、価値観の同じ人とつながれたら素敵じゃないか。また一人友達が増えるじゃないか。黙ってないで発信してくれ。何を言っているかより、誰が言っているかが大切なんだよ。大人達は気を付けた方が良いぞ。子供が親のあなたより、有名なスポーツ選手の話をしたがるのは、言動が一致している人間を見抜き、自分がなりたい方を選んでいるからだぞ。挨拶しなさいって叱る親は、自分が挨拶してないんだぞ?僕達もそうだったじゃないか。あんな大人になりたくないって言ってた大人になってないか?今からでもそれを認め、受け入れ、出来ない事は出来ないと言える大人になろう。素直に謝れる大人になろう。最近母親が、甥っ子がきちんと玄関で靴をそろえて脱ぐのが可愛いと笑っていたが、自分はやってないのだろうか?と心配になった。(笑)甥っ子になんで大人は靴をそろえないのだろうかと思われてなければ良いが。・・・とりとめもない内容になってしまった。まぁ初めてのブログ記事なんてこんなものだろう。結論はこうだ。寂しい時にパソコンを開けば、自分が好きな人がいて、自分に語りかけている。そう思えたら、ちょっと幸せに寝る事が出来るんじゃないかと思うだけ。目の周りには限りあるだけの人しかいないけれど、ここにもたくさん居てくれると思えたら良いなと思う。

  あの日別れた人よ、僕はブログを書いてみるよ。ブラインドタッチなんて出来ないからマイペースにゆっくりだけど。二人が過ごした時間が幸せだったと今も変わらず思っているから。久しぶりにつながる友よ、びっくりするほど時が経つのは早いですね。あの時の事、覚えていますか?若かった僕らのいた場面は、幸せだったよね?時々胸が張り裂けそうなぐらい戻りたくもなるけれど、出来ない事より出来る事を、なんだよね。大切な所は変える事無く、新しい時代を生きて行こう。ではまた。